9月号の『新世』より。
世間で言われる「男女平等」について、
いつも感じていた違和感に対して解答をいただいた気がしたので、
共有させていただきます。
倫理研究所 丸山敏秋理事長の「新世言」より。
「男女平等」とは、性の違いによって不当な差別があってはならない、
という意味である。
だがそれが「男も女も同じにせよ」と極端に走ると、
おかしなことになる。
世の中はギクシャクして潤いを欠き、無用なトラブルを生んでしまう。
筋力だけをとっても、男女の生理的な違いは歴然としている。
脳にも共感する傾向が優位の女性型と、
システムを理解したり構築するのを得意とする男性型の違いがある。
ゆえに世の中に、男性向きの職業と女性に向いた職業があるのは当然である。
お互いに役割を分担し、その上で助け合えばよい。
妙なことにいつの頃からか「女らしさ」「男らしさ」を口にしてはいけない
空気が充満してしまった。
もっと大らかに、性の違いを尊重し合う寛容な社会でありたいものだ。
近現代でもたいがい、女房殿が亭主の財布のひもを握っている。
男は強がっても、賢い女性の尻に敷かれているのが常ではないか。
亭主関白とはほど遠い筆者からすれば、
口先だけの「男女平等」を唱えてほしくない。
性の違いで男女がいがみ合うのは愚かしい。
一組の夫婦となって信愛を交わすことにおいて、
男女はまったく平等なのである。
他にも夫婦別姓のことや皇室典範のこと、奈良時代のことなど書かれており、
ぜひ原文をお読みいただきたいです。
それぞれ役割があるんだから、お互いのできることを尊重して仲良くすればいいのに。
なぜわざわざ足りないところを探し合い、争い、傷つけ合うんだろう?
よくわからない。